今週のお題「わたし○○部でした」
さて、久しぶりに今週のお題でも回答しておきましょうか。
とりあえず、部活は「陸上部」でした。
小学生の頃から体を動かすのは好きだったみたいです。
英会話に通わせてもらってたんですけど、その教室でも飛び跳ねて、スポーツクラブに行っては?と親は言われていたそうです( ´∀` )
それを聞いてからおとなしくなったんですが。
そのころは週末はソフトボールをやってました。
投げたボールが真っすぐにとんだときはうれしかったなぁ。
当時の小学校では、トラックを走った分だけ色を塗っていけるという紙を渡されていて、それを埋めてやろうと必死に走ってました。
そのせいでしょうかね。走ることに抵抗がなかったんですよ。
むしろ、うまくいかない球技、団体戦がだんだんと嫌いになってました。
中学生になって、部活に陸上が出てきたんですよね。
小学校から一緒だったヤツが陸上部に入るっていうんで、じゃあ俺もといった具合に入部しました。
そんな理由でしたので、あんまりしんどいのは嫌だしなぁーと、短距離に入ったんです。
ただ、あまり面白さを感じなかったんです。
それで試しに長距離の練習をやってみたんですけど、これが面白かったんですよね。
走ってるって実感があったかもしれないです。短距離だと一瞬ですからね。
だんだんと、もっと早く走りたいなぁと思い始めてはいたんですけど、あくまでも学校の中でそこそこ早ければいいやといったくらいでした。
なので、周りがさぼってるときにちゃんと走ってるくらいの普通の生徒でした。
そのせいでこんなに真面目でコミュ障なのか!?
と言ってる間に時間がたって高校生になりました。
何にも調べることもなく、中学校の先輩がいたので陸上部に入りました。
これが失敗であり、成功でした・・・。
工業高校に進学したんですが、工業の学校がそんなに陸上に力を入れてるわけがねぇw
くらいに思ってたんですよ。
そしたら、うちの陸上部は駅伝に対して本気でやってる!みたいなチームだったんですよ・・・。
新入部員のうち、長距離に行ったのは自分も入れて4人。駅伝に出るにはかなりぎりぎりの数でした。
なのに!!!
一番早かったやつが突然部活にこなくなって、辞めたんですよね・・・。
もう、そのあとはやめづらいのなんのって・・・。
最初は1年で辞めてやろうとか思ってたんですけど、人数も足りないし、辞めづらい・・・。
そんな気持ちで3年間続けて、ようやく引退するころには、中の上くらいには入ることができてました。
なんやかんやでいろいろありましたけど、あの環境でやり通したってことだけが自分のメンタルを支えてくれてますね。
実は顧問の先生には非常に感謝しております。
今でも多少走れるのは、あのころ作ったからだのおかげ。
コロナにかからないのも心肺機能を作ったからだと思ってます。
マラソンとか、これからも走っていきたいと思ってます。
やってよかった。
まとまりのないお話でしたが、詳しく説明すると止まらなくなりそうなのでこの辺で辞めておきます。
ありがとうございました。
また、マラソンとかイベントに出たりしたら記事にしてみますね。